このようなわけで、律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。
わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。
主よ、あなたは正しく、 あなたのさばきは正しいのです。
わたしたちは、律法は霊的なものであると知っている。しかし、わたしは肉につける者であって、罪の下に売られているのである。
あなたのすべての戒めは正しいので、 わが舌はみ言葉を歌います。
すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。
あなたはまたシナイ山の上に下り、天から彼らと語り、正しいおきてと、まことの律法および良きさだめと戒めとを授け、
イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え、
また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。
あなたの約束はまことに確かです。 あなたのしもべはこれを愛します。
それゆえ、わたしは金よりも、 純金よりもまさってあなたの戒めを愛します。
あなたを恐れる者にかかわる約束を あなたのしもべに堅くしてください。
あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。
もし、自分の欲しない事をしているとすれば、わたしは律法が良いものであることを承認していることになる。
あなたの戒めはみな真実です。 彼らは偽りをもってわたしを迫害します。 わたしをお助けください。